1998年にMONO第23回公演として初演を行って以降、『その鉄塔に男たちはいるという』はたくさんの団体に上演されてきました。
今回の再演にあたり、この作品の上演に関わられた皆さまから、またそれらの上演をご覧くださった皆さまから、当時のエピソードや思い出を寄せていただきました。
さまざまな「鉄塔」の風景、ありがとうございました!

上演した土屋佑壱(*pnish*)

とにかく色んな団体で上演されてきた「鉄塔」。
僕らは、とある環境のとある人物たちによる架空の設定であるということで、衣装と美術に関しては抽象的に臨んだけど音楽に関しては当時音響の青木タクヘイさんの「南米だ!」の一言で作曲家にレゲエを発注し、劇中で少しだけ触れる言葉をヒントにネタを作りコミックメンズショウのテーマを作って約30分のヒリヒリしたショーを稽古場でお披露目もした。
持ち場ごとの感性によって世界観を変えるこの作品の可能性を今思い返し改めて感じます。
僕らの公演にもご来場いただき、なるべく観に行くようにしているとも言っていた土田さんはこれまで多くの世界観の「鉄塔」を目撃してきたはずで。
本家がこれにプラスしてくる。楽しみで仕方ありません。
土屋佑壱(*pnish*)

*pnish*プロデュース/2008年4月 青山円形劇場(東京)にて上演

観た滝本祥生(劇団B.LET'S)

初演の1998年、私はMONOの制作スタッフとして公演に参加していました。
MONOにはその頃、2人の女優さんが所属されていて、でも、「今回は男5人の芝居を作りたい」と言われた土田さんに、明確に書きたいことがあるのだと感じました。知る限り、それまでにそういうことはありませんでした。
戦場を舞台にした物語に取り組むにあたり、出演者それぞれの思想の違いなどにも踏み込んで、稽古場で話し合われていたことを覚えています。

ある時、「なぜ、いま戦争の物語なんですか?」と、土田さんに聞いたことがありました。何も考えず平穏に暮らしていた私にとって、戦争など程遠いものだと思っていたので。
「だってこのままじゃ、いつか戦争になるでしょ。戦争は嫌だから」
そんな回答をもらったと思います。

その言葉の意味が分からずにいると、
「そりゃすぐには戦争になんてならない。でもそういう方向に向かっている」
と言われて。
22年前、長野オリンピックで沸いていた日本で、やはり私にはその言葉の意味が掴めませんでした。

でも今思うと、その通りになっている様にも思います。

22年前、土田さんが見ておられた世界は、私に見えていたものとは全く違っていて。
そして今、土田さんの目に世界はどんな風に映っているのか。
どんな風に皆さんが演じられるのか。
物語が今を生きる人たちにどんな風に響くのか。
2020年の「鉄塔」が、楽しみで仕方ありません。

MONO/1998年12月 AI・HALL(兵庫)にて上演

上演した加藤和大(MUNA-POCKET COFFEEHOUSE)

2001年2月と、2005年4月の2回にわたり、僕たちの劇団、MUNA-POCKET COFFEEHOUSE(通称:ムナポケ)で、公演させていただきました。僕が立命館大学の立命芸術劇場(土田さん達の後輩)ということもあり、MONOが大好きで、自分の劇団を立ち上げる際の旗揚げ公演の演目とさせていただきました。また、旗揚げから数年たった後、もう一度この作品にチャレンジしたくなり、「約三十の嘘」の作品と同時に、2週連続公演をさせていただきました。
鉄塔

MUNA-POCKET COFFEEHOUSE/2001年2月・2005年4月 浜松駅ビル・エアロホール(静岡)にて上演

観た小坊主

初めてMONOを観たのは、この作品でした。(確か中野のザ・ポケットでだと思います)何か東京の劇団みたいに途中でダンスとか入らなかった為、新鮮でした。 その時の土田さんの挨拶探しましたが、見つかりませんでした。すいません。

第6回OMSプロデュース/2001年5-6月 中野ザ・ポケット(東京)、栗東芸術文化会館さきら小ホール(滋賀)、扇町ミュージアムスクエア(大阪)にて上演

観たダンスサミット

2001年中野で初めてMONOを観劇したのが『その鉄塔に男たちはいるという』でした。なんの予備知識もなく、今となってはなぜ観に行こうと思ったのかも記憶にありませんが、中野駅までの夜道がとても怖かったのは昨日のことのように覚えています。あんなに暗転が怖く、見終わった後ぞっとしたお芝居は遊気舎の『JULIO』とMONOの『その鉄塔に男たちはいるという』の他に思いつきません。 あの頃よりも確実に現実世界が怖くなっているこの時代に、どのように恐ろしい思いをさせてもらえるのか期待しています。

第6回OMSプロデュース/2001年5-6月 中野ザ・ポケット(東京)、栗東芸術文化会館さきら小ホール(滋賀)、扇町ミュージアムスクエア(大阪)にて上演

上演した橋本哲男

アマチュア劇団の指導と演出を依頼され、地元の北とぴあ演劇祭に初めて参加することになった。作品探しも兼ねて多くの小劇場演劇を観劇していたところ、中野で「その鉄塔〜」に出会った。軽妙な会話劇、独特のテンポと間の心地よさに虜になった。当劇団は女性しかおらず、制作の方に無理を言い、タイトルを「男」から「女」に変えて上演させて頂いた。(チラシや当日パンフに原題を明記したが、大変失礼なことをしたと反省しております)10月の本番に向けて稽古をしている最中に、9.11のテロが起きた。戦争という設定が急に色鮮やかになり、図らずもタイムリーな作品となった。ラストの歌とともに袖幕をアップさせ、その裏に仕込んだオレンジ色の光を客席に照射した。「G線上のアリア」と共に銃撃音が大きくなり、銃撃音のみになったところでカットアウトした記憶がある。9.11の後、世界がどうなるか不安で仕方なかった時に、なぜ演劇をやっているのかと、自分自身に問いながら取り組んだのを、よく覚えている。

とうきょう花菜/2001年10月 北とぴあ(東京)にて上演

上演した小林七緒

演出って何するの?てくらい駆け出しの頃にやりました。劇場=稽古場だったので早めにセット組んで、本当に鉄塔に住み着いた人たちみたいでした。あまりにハマリすぎて「これはウチに当て書きしてくれたんじゃ?」と勘違いするほど。 お陰様で、若手演出家コンクールで最優秀賞いただきました。

流山児★事務所/2001年12月 Space早稲田、下北沢「劇」小劇場(東京)他にて上演

上演した上田和弘

『あの鉄塔に…』の思い出。 男五人芝居で何か部活や文化祭のノリで、大真面目に遊びまくった記憶が有ります。台詞がとにかく面白くて…計算して笑いを取りにいかなくても、真剣に一途に会話すれば、笑えて人間のおかしさが出ると確信できる台本。 稽古も本番も楽しかったな〜。

流山児★事務所/2001年12月 Space早稲田、下北沢「劇」小劇場(東京)他にて上演

上演したさとみかずひこ

稽古中、Tシャツを巡るシーンでTシャツから何故かパンツの脱がせ合いになって、脱がされそうになった上田さんがマジギレしそうになって、追い込まれた関根さんが自らパンツ脱いで下半身裸踊りをして、後日風邪ひいて仕込み中ずっと楽屋で寝込んでましたね。 それはさておき、劇団入って初めての再演だったので、印象深い作品です。

流山児★事務所/2001年12月Space早稲田、下北沢「劇」小劇場(東京)他にて上演

上演した片山知行

私が2001年秋に京都大学劇団ケッペキに入り、初めて舞台に立ったのが2002年に上演させて頂いた「鉄塔」でした。大学卒業後、京都の洛星高校に赴任し、演劇部顧問となって5年目の、2012年に高校演劇の地区大会で上演したのも、また「鉄塔」でした。男子校ゆえいつも台本選びには苦労するのですが、「鉄塔」を読んだ部員がぜひやりたいと言い、60分に縮めての上演。思いがけず、本校演劇部としては16年ぶりの上位大会出場を果たしました。当時の部員たちは、ちょうど社会人になったばかり。みんなどうしているのでしょう。元気にやっているんだろうか。彼らが作品を通じて得たものが、今を生きる糧になってくれていたらいいなあと思います。

洛星高校演劇部/2012年11月 京都府高等学校演劇大会
京都こども文化会館(京都)にて上演

観たK

2002年に、京都大学の学生劇団である劇団ケッペキさんが上演したものを見ました。当時私は大学4回生で、1年留年して芝居を始めてみようと思い、色々な劇団を見に行っていました。その中でも圧倒的にお話が面白くて、プロの演劇をやっている人の脚本はすごいなと思った記憶があります。(そして、ケッペキの役者の方も素敵でした!) その後、演劇の世界に入ってから、OMS戯曲賞のことやOMSプロデュース公演の話を先輩から聞きました。今回ついに劇団での上演を見られるのが楽しみです。少し緊張しています。

劇団ケッペキ/2002年4月 京都大学吉田寮食堂(京都)にて上演

上演した樋口伸介(Area‐Zero)

2000年頃 平台・箱馬・杉村春子を知らずに文学座附属演劇研究所に運良く入所し、演劇というものを初めて学んでいる時、数年後MONOさんに客演することになる今井朋彦さんが、有志(のちの文学座ユニットH.H.G.初期メンバー)と共に勉強会と称して、素舞台・平台・箱馬のみで「その鉄塔~」を四谷三丁目の文学座稽古場にて発表。・・・観劇して感激!!!!! (勉強会なので勿論無料で、稽古場が狭い為、一般の方は居なかったハズです。・・・多分。)
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色々あって地元の新潟県長岡市に帰る。芝居もやめる。。。
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2004年 H.H.G.の「その鉄塔~」をサイスタジオにて観劇して感激!!!!! (・・・これの前か後か、もう1回H.H.G.の「その鉄塔~」を別の年に観た気がするのだけれど、記憶が定かでない。)
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演劇が忘れられず長岡市リリックホールにて、演劇WSに参加。講師は文学座の今井朋彦さん。懇親会にて、劇団の後輩であることと、数年前、稽古場で観た「その鉄塔~」がたまんなかった旨を伝える。
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次の週のWSに、今井朋彦さんが「その鉄塔~」の台本をわざわざ持って来てプレゼントしてくれる。・・・感激!!!!!
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・・・演劇、演らないわけにはいけない!!!!! (´;ω;`)
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2005年 自身の劇団、Area-Zeroを旗揚。旗揚公演の演目は勿論「その鉄塔~」。公演時の劇団員は僕のみで、役者もスタッフも他メンバーは全て客演。(因みに客演してくれたメンバー4人のうち1人はうちの劇団員に。うち3人は高校演劇部の顧問として、新潟の高校演劇界を盛り上げるべく現在もバリバリと活躍中!)
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2010年 1回こっきりの公演のハズが色々あって続いて、第10回の記念公演で想い入れの深い「その鉄塔~」を再演。
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演劇大学in新潟にて、土田英生さんに初お目見え&ご挨拶❤︎❤︎❤︎ (土田さんは忘れてること間違いなし!笑)
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2019年 「芝居をしたい!」と2010年の第10回記念公演時に稽古見学や代役として手伝いに来てた高校生の今井大樹君がこの時から芝居を始め、数年の時を経て上京し「その鉄塔~」を東京にて上演。
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2020年 現在 自身の劇団Area-Zeroは、今迄に18回の公演を重ね、「その鉄塔~」の2回公演の他に、MONOさんの作品は「相対的浮世絵」「燕のいる駅」「きゅうりの花」を演らさせていただきました! 知らず知らずに年月を重ね、自分たちの劇団員も皆歳を重ね、結婚やら子育てやら仕事上の都合で、正直もう自分の劇団では公演が打てないような状況になってしまいました。 (「初恋」も「約三十の嘘」も、あれもこれも演りたかったなぁ・・・)
僕自身も結婚し、3人の子供(現在5歳・3歳・3歳)に恵まれましたが、この星で一番芝居の上手いサラリーマンになるべく、なんとかまだ芝居を続けております。。。
MONOさん 30周年本当に本当におめでとうございます!!!!! (´;ω;`)
・・・何とかして「その鉄塔~」観にいきたいッッ!!!!!

Area-Zero/2010年7月 長岡リリックホール(新潟)他 にて上演

上演した樋口ミユ

22年ぶりの上演、おめでとうございます! OMSで観た初演をいまでも覚えております。 不思議なもので、観劇体験の「その鉄塔に男たちはいるという」はこんなにも鮮明なのに、「期間限定Saccharin」の上演体験「その鉄塔に女たちはいるという」は本番よりもお稽古場のほうが鮮明です。劇作家が役者を試みる、というよりは“劇作家が戯曲に向かい合うために役者をする”というコンセプトで私たちは挑んだのでございましたが、リズム、テンポ、タイミング、ダンス、ダンス、ダンス、手と足がちぐはぐ、ああ・・・・・・私事ではございますが、この上演をあとに本格的に役者を退いたなぁと思い出しましたわ。

期間限定Saccharin/2011年2月 ドーンセンター(大阪)にて上演

上演した棚瀬美幸

関西の女性劇作家が劇団の枠を超えて名作戯曲を演じるプロジェクトとして立ち上げた、期間限定Saccharin。清水邦夫さんの「楽屋」を2008年12月に上演し、もうないだろうと思っていたら、降ってわいた二回目の公演、2011年2月。その時、MONOさんの「その鉄塔に男たちはいるという」を「その鉄塔に女たちはいるという」にタイトル変更させていただいて上演させてもらった。
演じることなんかしてこなかったのに、土田さんの戯曲は演じさせてもらって、とっても楽しかった。楽しくて楽しくて早口になっていた。MONOさんのお芝居は早口でいいと思っていたのに、演出家に早すぎるとダメ出しされた。女だらけで演じる”逃げ続けるための闘い”は,連帯感が半端なかった。また演りたいな、なんて身の丈を知らない感想を持たせてくれる戯曲でした。

期間限定Saccharin/2011年2月ドーンセンター(大阪)にて上演

上演した竜崎だいち(羊とドラコ)

サッカリン「その鉄塔に女たちはいたという」に俳優として参加しました。ここで出会った女流作家の皆さんは、一方的ですがなぜか戦友のような印象で、ありがたいことに今でも仲良くさせて頂いています。 なかなか無いことなんですが、ラストシーン、おしっこもれちゃったという台詞を放ったその瞬間の自分の感情と想像した景色は、なぜか今でも心にこびりついています。

期間限定Saccharin/2011年2月ドーンセンター(大阪)にて上演

上演した芳崎洋子

2011年に、期間限定サッカリンという関西の女性劇作家達の集まりで上演させていただきました。登場人物は、全員男性なのに・・です。女性も戦場に駆り出される時代という設定です。作者の土田さんからは、「“作”ではなく、“原案”で」とのことでした。当然です。演じるに当たり、セリフの言い回しを女性形に変える必要があったのですから。それでも、上演を許可してくださった土田さんには、感謝でした。
 私は、上岡の役でした。ちょっとイライラしてて、ちょっと上から物を言う人です。ちょっと意固地なとこが、自分に似てるなぁと思ってはいましたが、私は人前でTシャツを脱ぐことはしません。前年の清水邦夫さん作『楽屋』に続き、また脱ぐのか・・と、周りの細いメンバーがうらめしかったです。
それ以上に、稽古ではセリフのテンポの速さをつかむのに四苦八苦でした。MONOさんの役者の皆さんは、いつも軽々とセリフを打ち鳴らし続け、観客の笑いを集めておられますが、それがこれほど大変なことであり、稽古の積み重ねが必要であることに改めて気付かされました。稽古終わりに駅へ帰る道でも、休み時間でも、他のメンバーにセリフの返しに付き合ってもらいました。身をもって、MONOさんのお芝居の計算された緻密さ、引いては台本のすごさに恐れ入った次第です。
 なにより、普段、書き手でしかなかった私は、役者の偉大さを身をもって体験する貴重な機会となりました。

期間限定Saccharin/2011年2月ドーンセンター(大阪)にて上演

上演したUn≠i

Un≠iでは2017年の1月にブローダーハウスで上演。 写真はラストのコミックメンズショーです。

ヰ常集団Un≠i/2017年ブローダーハウス(東京)にて上演